お菓子の棚の声

スーパーのお菓子売り場の前に立ったとき、色が多いな、と思いました。

Nerdsの鮮やかな青。チートスのオレンジ。棚の端から端まで、強い色がびっしりと並んでいます。日本のお菓子売り場にも色はありますが、もう少し静かです。ここでは棚全体がこちらに向かって声を出しているような感覚がありました。

そしてその棚の中に、赤・白・青——星条旗の色で飾られたクッキーを見つけました。クッキーの生地の中にカラフルなM&Msが焼き込まれています。

正直に言うと、おいしそうには見えませんでした。クッキーに求めている色ではなかったのだと思います。抹茶やチョコレートの落ち着いた色合いに慣れた目には、あのカラフルさが「おいしさ」ではなく「何か別のもの」に見えました。

でも、隣でカートにさっと入れていく人がいました。迷っている様子はありません。自分が「おいしそうに見えない」と思ったものを、その人は当然のように選んでいる。同じ棚の前に立っていて、同じクッキーを見ていて、見えている「意味」が違っていたのだと思います。

チートスの指

そのお菓子売り場で、チートスを買ってみたことがあります。

袋を開けると、中のスナックもパッケージと同じ鮮やかなオレンジでした。ひとつ食べてみると、味は想像通りのチーズ味。濃厚で、しょっぱくて、悪くない。でも何個か食べた後に、ふと自分の手を見て驚きました。指先が鮮やかなオレンジ色に染まっていたのです。

気になりました。指先にべったりとついたオレンジは、洗わないと取れない濃さです。日本のスナック菓子で、ここまで指が色づくものはあまり思い出せません。手が汚れにくいように個包装されていたり、粉が指につきにくいように工夫されていたり。指に色がつくことは避けるべきもの——そういう前提で暮らしてきました。

でも周りの人は、チートスを食べた後の指を特に気にしていない様子でした。後で知ったのですが、チートスのメーカーはあの指につくオレンジの粉に「Cheetle(チートル)」という公式名をつけていました。カナダには17フィートのCheetle像まで建てられているそうです。マーケティング担当者の言葉では、ファンはオレンジに染まった指を「勲章のように誇示する」のだとか。

指が汚れることを欠点として処理するのではなく、体験の一部として名前をつけて祝っている。自分が「気になった」ものは、この社会では「楽しさの証」だったのです。

色を留める文化、あふれさせる文化

お菓子の棚の前で感じたこと、チートスの指を見て感じたこと。この二つの違和感のあいだに、共通するものがあるような気がして、しばらく考えていました。

日本のお菓子を思い返すと、色はいつも「中に留まっている」ことに気づきます。

パッケージの色は落ち着いていて、抹茶の緑やいちごの淡いピンクなど、素材そのものの色を映したトーンが多い。中身のお菓子も自然な色合いをしている。そして食べた後の指はきれいなまま。パッケージ、中身、食べた後——どの段階でも、色はあるべき場所に収まっていて、そこから外にはみ出さない。この「留まっている」こと自体が、丁寧さや品質の証になっている気がします。

アメリカのお菓子は、色が「あふれる」方向に向かっています。

パッケージは棚の向こうから目に飛び込んでくるほど鮮やかで、中身もカラフルで、食べたら指まで染まる。星条旗クッキーのM&Msは赤、青、黄、緑と素材の色からは自由になっていて、チートスのオレンジは袋から手へ、手から指先へと広がっていく。そしてその「あふれ」は問題ではなく、楽しさの一部として受け入れられている。

色を中に留めるか、外にあふれさせるか。日本のお菓子が色を管理して秩序の中に収めようとするのに対して、アメリカのお菓子は色があふれること自体を体験として肯定している。あの星条旗クッキーが自分に「おいしそう」に見えなかったのは、色が素材の枠を超えてあふれ出していることに、自分の目が慣れていなかったからなのだと思います。

目にかかっているフィルター

あの星条旗クッキーを、結局まだ食べていません。

チートスは食べました。味は思っていた通りで、悪くなかった。でもそれよりも、指がオレンジになったことの方が印象に残っています。味より先に、色が気になっている。

振り返ると、自分の「おいしそう」はずっと色に導かれてきたのだと思います。自然な色なら安心、派手な色なら少し不安。意識したことはなかったけれど、色がフィルターになっていて、手に取るかどうかを決めていた。味を知る前に、目が先に判断を下している。しかもその目は、自分が育った文化の中で訓練されてきた目でした。

いつか星条旗クッキーも食べてみようと思います。でも今の自分の目は、まだあの色を「おいしそう」に変換できないでいます。

この色と食の関係が気になって、少し調べてみました。

気になって調べてみました

「おいしそう」が視覚に左右されることは、実験心理学でも確かめられています。オックスフォード大学の実験心理学者チャールズ・スペンスは、食品の色が味の知覚に影響を与える「クロスモーダル対応」を長年にわたって研究してきました。同じ味の飲料でも、色を変えると甘く感じたり酸っぱく感じたりする。食べ物の見た目が味の「期待」を作り、その期待が実際の味覚体験を左右する、という仕組みです。本文で触れた「味を知る前に目が先に判断を下す」という感覚は、この研究が示すメカニズムと重なります。興味深いのは、色と味の結びつき方が文化によって異なるという点です。ある色を見て「甘そう」と感じるか「人工的だ」と感じるかは、その人がどんな食文化の中で育ったかに影響されます。

食品パッケージの色彩戦略には、日米で明確な傾向の違いがあります。日本の食品パッケージは素材感や自然さを重視し、落ち着いた色調やミニマルなデザインを好む傾向があります。色は素材そのものを想起させる役割を担っていて、抹茶製品の深い緑やいちご製品の淡いピンクのように、色と素材のつながりが信頼の証になっています。一方、アメリカのパッケージは視認性と「シェルフアピール」を重視し、大胆な色使いで棚の中から商品が飛び出して見える効果を優先します。色の役割が「素材の再現」ではなく「感情の喚起」にあるため、素材とは無関係な色の組み合わせも自然に受け入れられます。本文で触れた星条旗クッキーのM&Msの色が「楽しさ」を伝えている一方で筆者には「おいしさ」に見えなかったのは、色に求めている機能がそもそも違っていたためだと考えられます。

本文で触れたチートスの「Cheetle」も、パッケージデザインの延長線上にある現象として捉えることができます。通常、食品メーカーは商品が手や衣服を汚すことを品質上の欠点と見なし、改善の対象とします。実際、日本のスナック菓子メーカーは粉の付着を減らす技術開発に力を入れてきました。チートスが逆に粉に名前を与え、ブランドの象徴として打ち出したのは、「色があふれること」を欠点ではなく体験価値として再定義した例です。色を管理して留める方向に進んできた日本の食品文化と、色があふれることを楽しさに変換するアメリカの食品文化。同じ「おいしさ」を目指しながら、色との付き合い方がここまで違うのは、食べ物に何を求めているかの違いが映し出されているのかもしれません。