どこにでもある星条旗

アメリカに来て最初に気づいたことのひとつが、星条旗の多さでした。

空港の入国審査場に大きな旗がある。街中のお店にも掲げられている。住宅街を散歩していると、家の玄関先やポーチにも星条旗が飾られています。特別な日だけではありません。何でもない平日にも、そこにあるのです。

日本では、一般の家庭に国旗が掲げられている光景はほとんど見たことがありませんでした。だからこそ、アメリカの星条旗の多さには驚きました。最初に感じたのは、「愛国心がとても強い国なんだな」ということでした。

季節の飾りと同じ場所にある

しばらく暮らしてみて、少し印象が変わりました。

星条旗が飾られている家をよく見ると、季節の飾りと同じ場所に掲げられていることが多いのです。ハロウィンのかぼちゃがあった場所に、クリスマスのリースがかかり、そしてその隣に星条旗がある。スポーツチームの旗と並んでいることもあります。

つまり、星条旗は「主張」として掲げているというよりも、暮らしの中の飾りのひとつとして自然にそこにある。政治的な意思表示というよりも、もっと軽くて日常的なものに見えてきました。

「ここに属しています」という旗

では、アメリカの人たちにとって、あの旗は何なのだろうと考えました。

ひとつ思い当たるのは、アメリカが移民の国だということです。いろいろなルーツを持つ人たちが一緒に暮らしている社会で、「自分たちはひとつのコミュニティです」と確認し合うための共通のシンボルが必要だったのかもしれません。星条旗は、特定の民族や宗教ではなく、「この国で暮らしている」という共通項を象徴しているように見えます。

社会学には「市民宗教(civil religion)」という考え方があるそうです。アメリカの社会学者ロバート・ベラーが提唱したもので、特定の宗教とは別に、国旗や国歌、建国の理念といったシンボルが、社会全体をゆるやかにまとめる役割を果たしている、という考え方です。

この視点で見ると、家の前の星条旗は政治的な主張ではなく、「ここに属しています」という静かな表明なのかもしれません。

風景になった旗

住宅街を散歩しながら星条旗を眺めるとき、最初に感じた「愛国心が強いんだな」という印象は、今では少し変わりました。あの旗は、もっと穏やかなものに見えます。自分の家の前に飾ることで、「ここが自分の場所です」と静かに言っている。

日本にいた頃は、国旗というものについて考えることがほとんどありませんでした。でもアメリカに来て、国旗が日常の風景にある暮らしを見て、帰属意識の表し方にもいろいろな形があるのだと感じるようになりました。

旗を掲げることで表す国もあれば、別の形で表す国もある。日本人が「日本らしさ」を感じるのは、もしかしたら旗を見たときではなく、桜を見たときや、和食を食べたとき、四季の移り変わりを感じたときなのかもしれません。帰属意識のシンボルは、必ずしも旗である必要はないのだと思います。

この国旗と社会の関係が気になって、少し調べてみました。

気になって調べてみました

「市民宗教(civil religion)」は、アメリカの社会学者ロバート・ベラーが1967年の論文で提唱した概念です。ベラーは、アメリカ社会にはキリスト教などの個別の宗教とは別に、国家の理念やシンボル(国旗、国歌、独立記念日、大統領就任式など)を中心とした共有の信念体系が存在すると論じました。この市民宗教は「自由」「平等」「民主主義」といった建国の理念を核としていて、特定の政党や政治的立場を超えて社会全体に浸透しています。

アメリカで国旗が日常に溶け込んでいる背景には、学校教育の影響もあります。多くの公立学校では朝の時間に「忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)」を唱える習慣があり、子どもの頃から国旗が日常的な存在として親しまれています。この習慣は1892年に始まったもので、国旗への親しみが幼い頃から生活に組み込まれている仕組みです。

本文で触れた「帰属意識の表し方は旗だけではない」という視点は、社会学者の吉野耕作の研究とも重なります。吉野は『文化ナショナリズムの社会学』(1997)の中で、日本のナショナル・アイデンティティが政治的シンボルよりも、食文化や言語、四季の感覚といった文化的要素に強く依拠していることを論じています。国旗を掲げることで帰属を表す文化と、食や季節を通じて帰属を感じる文化。どちらも「自分たちはここにいる」という感覚を共有する仕組みですが、その表れ方が違うのだと言えます。