二重ドアで起きたこと
お店に入るとき、ドアが二重になっていることがあります。
あるとき、前を歩いていた人が最初のドアを押さえて、後ろの人を先に通していました。通された人は “Thank you” と言って中に入り、そのまま二つ目のドアへ。今度はその人がドアを押さえて、さっき通してくれた人を先に通していました。
数秒の間に、通す側と通される側が入れ替わっていたのです。
日本でもドアを押さえたことはあったかもしれません。でも、記憶に残っていないのです。少なくとも、こんなふうに自然な連鎖として見た経験はありませんでした。
引き算の丁寧さ、足し算の丁寧さ
日本での自分を振り返ると、見知らぬ人に対しては「迷惑をかけない」ことが丁寧さの基本でした。邪魔にならないように。気づかれないように。お互いの領域に踏み込まないように。相手に何かを「しない」ことが配慮であり、マナーでした。引き算の丁寧さです。
アメリカのドアの押さえ方は、これとは向きが違います。相手が来ると分かったら、わざわざ立ち止まって待ちます。ときには少し離れていても、ドアを押さえたまま相手を待っています。そしてこれは、男性が女性にするものでも、若い人がお年寄りにするものでもありません。性別も年齢も関係なく、誰もが誰に対してもやっています。相手の存在に気づいていることを、行動で示す。何かを「しない」のではなく、何かを「する」。足し算の丁寧さです。
この違いに気づいてから、ドアの場面だけでなく、日常のいろいろな場面が少し違って見えるようになりました。エレベーターで「何階ですか?」とボタンを押してくれる人。駐車場で道を譲ってくれる人。落としたものを拾って声をかけてくれる人。どれも、あえてひと手間をかけて相手の存在に応えている。引き算ではなく、足し算です。
バトンが回ってくる
面白いのは、この足し算がいつの間にか自分にも伝染していたことです。
最初は押さえてもらう側でした。慣れないまま “Thank you” を言うのが精一杯でした。でも暮らしているうちに、後ろから人が来ているのが見えたとき、手を離すのが何となく気まずくなりました。押さえてもらうことに慣れると、押さえないことの方が不自然に感じるようになったのです。
社会学者のグールドナーは、これを「互酬性の規範」と呼んでいます。人は誰かに何かをしてもらうと、自分も同じようにお返しをしたくなる。この傾向は文化を超えて人間に備わっているものだそうです。
ドアの場面では、この互酬性がとても軽い形で現れます。押さえてもらったら “Thank you” と言って、次のドアで自分も押さえる。小さな親切がバトンのように次の人に渡されていきます。お中元やお歳暮のように準備も計画もいりません。目の前の数秒で完結します。この「軽さ」が、連鎖を途切れさせずに続けているのだと思います。
そして、この連鎖に一度加わると、抜けるのが難しくなります。自分がドアを押さえずに通り過ぎてしまったとき、日本にいた頃は何も感じなかったはずなのに、今は少しだけ居心地が悪くなります。いつの間にか、自分の中の「丁寧さの基準」が変わっていたのです。引き算の世界から、足し算の世界へ。意識して変えたわけではありません。バトンを受け取っているうちに、自然とそうなっていました。
どちらの丁寧さが正しいということではないと思います。ただ、ドアを押さえてもらうと、それだけで「自分はここにいていいんだ」と感じられるのは確かでした。たったドア一枚のことなのに、見知らぬ人に存在を認めてもらえた感覚がありました。
この互酬性の仕組みが気になって、少し調べてみました。
気になって調べてみました
「互酬性の規範(norm of reciprocity)」は、アメリカの社会学者アルヴィン・グールドナーが1960年の論文で体系化した概念です。「他者から恩恵を受けたら、それに報いるべきである」という規範が、文化や社会を超えて広く存在することを論じました。法律のように明文化されているわけではありませんが、社会の秩序を維持する暗黙のルールとして機能しているとされています。
互酬性には大きく二つの型があります。ひとつは「直接互酬」で、AがBに親切にし、BがAにお返しをする二者間のやりとりです。もうひとつが「一般化された互酬」で、AがBに親切にし、BはAではなくCに親切にする、という形です。ドアの押さえ合いはこの「一般化された互酬」の典型です。受けた恩を相手に返すのではなく、次の見知らぬ人に渡していく。この仕組みがあるからこそ、連鎖が途切れずに続くのだと考えられます。
本文で触れた「引き算と足し算」の違いは、贈与研究の視点からも捉えることができます。文化人類学者のマルセル・モースは『贈与論』(1925)の中で、贈り物には「贈る・受け取る・お返しする」という三つの義務があると述べました。日本のお中元やお歳暮のように儀礼化された贈与と、ドアを押さえるという身体的で即座な行為は、重さも形も違いますが、どちらも互酬性という同じ原理の表れです。ただし、軽くて即座な互酬の方が日常の中で連鎖を生みやすい、という点は興味深い違いだと思います。