レジで聞かれる不思議なひと言

アメリカに来て間もない頃、スーパーのレジで店員さんに “How are you?” と聞かれました。

なぜ店員さんが私の調子を聞いてくるのだろう。日本のスーパーでは、店員さんとの会話といえば「袋はいりますか」くらいです。「調子どうですか?」と聞かれることはまずありません。「いらっしゃいませ」は言われますが、あれはこちらに返事を求めていません。一方通行の挨拶です。

それが、こちらでは “How are you?” と聞かれます。しかも、返事を待っています。

学校の英語の授業で習ったのは “I’m fine, thank you. And you?” でした。でも、スーパーのレジでこれを丸ごと言うのはどう考えても大げさです。周りの人を観察していると、みんなさらっと “Good” とか “I’m good, thanks” で済ませています。あの授業で習った長い定型文は何だったのだろう、と少し可笑しくなりました。

これは質問ではないのかもしれない

面白いのは、同じことをいろんな言い方で聞かれることでした。

“How are you?” だけではなく、“What’s up?"、“How’s it going?"、“How are you doing today?” ——場所や人によって言い回しが違いますが、どれも返ってくる答えは似ています。“Good."、“Not bad."、“I’m doing well.” 。長い会話にはなりません。聞いた側も、長い答えを期待している様子はありません。

これが繰り返されるうちに、ああ、これは質問ではなくて挨拶なのだと気づきました。日本の「いらっしゃいませ」と同じで、「あなたがここにいることを認識しましたよ」というサインなのだと思います。

ただ、同じサインでも形がずいぶん違います。「いらっしゃいませ」は一方通行で完結しますが、“How are you?” は短くても言葉のやりとりが発生します。まるでドアが置いてあるような感じです。開けてもいいし、開けなくてもいい。“Good” で閉じれば挨拶として完結するし、ひと言添えれば会話の入り口になります。

日本の「いらっしゃいませ」にはこのドアがありません。丁寧だけれど、そこから会話が始まることは想定されていないのです。

「意味のないやりとり」の意味

このことを考えているうちに、言語学に「ファティック・コミュニケーション」という考え方があることを知りました。人類学者のマリノフスキーが提唱したもので、言葉には情報を伝える以外に、人と人との関係をつなぎとめる機能がある、という考え方です。

天気の話、「最近どう?」という問いかけ、別れ際の「また会おうね」。こうした言葉は、内容そのものに意味があるわけではなくて、「私はあなたとコミュニケーションを取る意思がありますよ」というサインとして機能しているそうです。

“How are you?” はまさにこれなのだと思います。店員さんは私の体調が知りたいわけではありません。「こんにちは、ようこそ」と言っているのです。ただ、その言い方がたまたま疑問文の形をしているだけで。

そう考えると、日本にもファティック・コミュニケーションはたくさんあります。「お疲れさまです」なんてまさにそうです。本当に疲れているかどうかは関係ありません。「同じ場にいますね」という合図として使っています。

ただ、日本のファティック・コミュニケーションは、相手の言葉をそのまま返せば済むものが多いように思います。「お疲れさまです」には「お疲れさまです」で返せば終わります。自分の状態を開示する必要がありません。

一方、“How are you?” は返事の中に “Good” でも “Great” でも、一応自分の状態を示す言葉が入ります。形式的であっても、ほんの少しだけ自分を開いている。この小さな違いが、日本とアメリカのコミュニケーションの距離感の差を映しているような気がします。

ドアを開けてみる

最近は “Good” や “Good, thank you” と返すのがすっかり定型になりました。特に店員さんやすれ違うだけの人には、それで十分だと分かっています。

でも、アパートで顔見知りの人に聞かれたときは少し違います。この前、廊下で会った人に “What did you do this weekend?” と聞かれて、Schenley Parkを散歩した話をしてみました。天気が良くて気持ちよかった、と伝えたら、“Oh I love that park!” と返ってきて、おすすめの散歩コースを教えてもらえました。ほんの2、3分のやりとりでしたが、それだけで少し距離が縮まった気がしました。

ドアを開けるかどうかは、相手との距離感で自然に決まります。店員さんには “Good” で閉じればいいし、もう少し話したい相手にはひと言添えてみる。どちらを選んでも失礼にはなりません。

“How are you?” のことが分かってきた今、ときどき日本の「いらっしゃいませ」の方が少し不思議に感じることがあります。お店に入って、人がいるのに、お互いに何も交わさない。それが当たり前だった自分の感覚が、少しだけ変わり始めているのかもしれません。

この “How are you?” の仕組みが気になって、少し調べてみました。

気になって調べてみました

本文で触れた「ファティック・コミュニケーション」は、マリノフスキーが南太平洋のトロブリアンド諸島でのフィールドワークをもとに、1923年の論文で提唱した概念です。現地の人々の会話を観察する中で、情報のやりとりとは別に、言葉を交わすこと自体が社会的な絆を維持する役割を果たしていることに気づいたそうです。この概念はその後、言語学や社会学に広く取り入れられました。

社会学者のアーヴィング・ゴフマンは、こうした定型的なやりとりを「儀礼的相互行為」と呼んでいます。ゴフマンの視点で興味深いのは、挨拶は単なる習慣ではなく、社会的な秩序を維持するための「儀式」として機能している、という点です。挨拶を返さないことが失礼に感じられるのは、この儀式を拒否したと受け取られるからだ、と考えると納得がいきます。

本文で触れた「一方通行か双方向か」という違いは、日本語と英語の挨拶行動の構造的な差としても研究されています。日本語の挨拶は対称的なもの(「お疲れさまです」に「お疲れさまです」で返す)が多いのに対し、英語の挨拶は非対称的なもの(“How are you?” に “Good, and you?” で返す)が多い傾向があります。非対称的な挨拶では、応答する側に自己開示の要素がわずかに入ります。形式的な “Good” であっても、自分の状態を一瞬だけ差し出している。同じファティック・コミュニケーションでも、そこに関係性構築への小さな一歩が含まれているのかもしれません。