Smallのパスタ

レストランでパスタを注文しました。サイズはSmall。初めてのお店だったし、まずは小さいサイズで様子を見ようと思ったのです。

出てきた皿を見て、思わず「これでSmall?」と思いました。

日本のレストランで出てくるパスタの普通サイズと比べても、明らかに多い。(食べきれない分は持ち帰る のが普通だと知るのは、もう少しあとのことです。)たまたまお腹が空いていたのでなんとか食べきりましたが、普段の食欲だったら厳しかったと思います。Smallでこれなら、Largeはどうなるのだろうと少し怖くなりました。

「ちょうどいい」はひとつじゃない

日本にいた頃は、「ちょうどいい」量について考えたことがありませんでした。レストランで出てくる一人前は、だいたい食べきれるくらいの量で、デザートやサイドメニューも含めてちょうどお腹がいっぱいになるように設計されている気がします。少し足りないくらいが「ちょうどいい」で、満腹すぎるのは食べすぎ。そういう感覚がありました。

アメリカでは、この「ちょうどいい」の位置がずいぶん違います。一皿の量が多いのはもちろんですが、面白いのは、周りの人たちがその量を別に多いとは思っていないように見えることです。普通に食べきる人もいれば、残す人もいますが、「こんなに多いの?」という顔をしている人は見かけません。あの量が、この社会の「ちょうどいい」なのです。

つまり、「ちょうどいい」は万国共通の基準ではなくて、文化が決めているものなのだと思います。

足りないよりは多い方がいい

では、なぜアメリカの「ちょうどいい」はこんなに大きいのでしょうか。

体格の違いはもちろんあると思います。でもそれだけでは説明がつかないくらい、日本との差は大きいです。

暮らしているうちに感じるようになったのは、「足りないよりは多い方がいい」という感覚がこの社会にはあるのではないか、ということです。足りなかったら申し訳ない。たっぷりあることが、もてなしであり、誠意であり、お得感でもある。レストランに限らず、ホームパーティーでも、お菓子の差し入れでも、「余るくらい用意する」のが普通です。

日本の「ちょうどいい」は、過不足のない状態を目指しています。余らないこと、足りないこともないこと。精密に調整された量が、気配りの表れです。一方、アメリカの「ちょうどいい」には、余白が含まれています。足りないかもしれないリスクをなくすために、最初から多めにする。余った分はどうにかなる。この「余白」が、結果的に大きなポーションになっているのだと思います。

精密さで気持ちを表す文化と、余白で気持ちを表す文化。どちらが正しいということではなく、「相手に満足してほしい」という気持ちの表し方が違うだけなのかもしれません。

「ちょうどいい」を決めているもの

ポーションサイズの文化差は、栄養学や食行動の研究で広く取り上げられているテーマです。特に知られているのは「ユニットバイアス(unit bias)」という現象で、ペンシルベニア大学の心理学者アンドリュー・ゲイアーらが2006年の研究で報告しました。人は「一人分」として提供された量を、大きさに関係なく一つの適量と認識し、それを基準に食べる傾向がある、というものです。つまり、Smallとして出された量が大きくても、「Smallなのだからこれが適量だ」と無意識に受け入れてしまう仕組みがあります。

ポーションが大きくなった背景には、アメリカの外食産業の歴史も関係しています。食材コストに比べて人件費や家賃の比率が高いアメリカの外食業では、量を増やすコストが相対的に小さいため、「たくさん提供してお得感を出す」という戦略が広まりました。ニューヨーク大学の栄養学者マリオン・ネスルは『Food Politics』(2002)の中で、こうした経済的インセンティブがポーションの拡大を加速させたことを論じています。

足りないよりは多い方がいい、という感覚は、アメリカの食文化における「abundance(豊かさ)」の価値観とも結びつきます。歴史的に、アメリカでは食卓に豊富な食べ物があることが繁栄や歓待の象徴とされてきました。感謝祭のテーブルに料理があふれている光景は、その象徴的な表れです。一方、日本の「腹八分目」という考え方は、適度な抑制を美徳とする価値観に根ざしています。ポーションサイズの差は、単に「どれだけ食べるか」の違いではなく、「豊かさをどう表現するか」という文化の違いを映しているとも言えます。

自分の中のSmallが動いている

面白いのは、暮らしているうちに自分の「ちょうどいい」も少しずつ動いていることです。

最初はSmallでも多いと感じていたのに、最近はSmallを頼んで「まあこんなものか」と思うようになりました。体が慣れたのか、感覚が変わったのか。たぶん両方です。

日本に一時帰国したとき、逆のことが起きるのかもしれません。「あれ、これで一人前?」と思う日が来るとしたら、それは自分の中の「ちょうどいい」がアメリカ側に寄ったということなのだと思います。

「ちょうどいい」は、動くのです。自分では変わっていないつもりでも、周りの基準の中で暮らしているうちに、少しずつ引っ張られていく。ポーションサイズという、毎日の食事のたびに目にするものだからこそ、その変化は静かで、でも確実です。

あの量を「ちょうどいい」と感じる人たちの基準は、どこから来たのだろう。

メインは一人一皿、という暗黙のルール一皿の頼み方についてメインは一人一皿、という暗黙のルールイタリアンレストランで食事をしたとき、前菜はシェアしていたのにメインはみんな一品ずつ注文していました。「被ってもいいのかな」と迷いながら一品を選んだあの感覚から、お皿の上に見えた文化の違いについて書きます。 メニューに写真がない国メニューに写真がない国メニューに写真がない国レストランでメニューを開いたら、文字しかありませんでした。「Tomato」がトマトソースたっぷりの一皿になって出てきたとき、写真があればと思いました。でもこの国のメニューが写真を載せないのには、理由がありました。

参考

  • Andrew B. Geier, Paul Rozin, Gheorghe Doros, “Unit Bias”, Psychological Science 17(6), 2006
  • マリオン・ネスル『Food Politics』2002