返品の列に並んでいた人たち
Home Depotでネジのサイズを間違えて買ってしまいました。
返品しようと決めたものの、行く前からあれこれ考えていました。理由をどう説明しよう。レシートはあったかな。面倒がられないだろうか。自分が間違えたのだから仕方ない、という気持ちも少しありました。でも使えないネジを持っていても仕方がないので、意を決してお店に向かいました。
返品カウンターに着くと、数人が並んでいました。でもその列の空気が、思っていたものと違いました。みんなスマホを見ていたり、ぼんやり立っていたり、普通のレジに並んでいるのと同じ顔をしています。気まずそうな人は一人もいません。申し訳なさそうにしているのは、自分だけでした。
自分の番が来て、ネジを出しました。店員は中身を確認すると、「購入したクレジットカードに返金でいいですか?」とだけ聞いて、端末を数回操作して、“You’re all set.” 。30秒くらいでした。理由すら聞かれませんでした。用意していた説明は使いませんでした。
あっけなかった。あっけなかったぶん、自分がどれだけ構えていたかが分かりました。
「返す」が組み込まれている
あの返品カウンターは、入口のすぐ近くにありました。
考えてみれば、そこにあるのは当然です。返品する人が多いからこそ、入口の近くに専用のカウンターを置いている。奥まった場所にひっそりあるのではなく、お客さんが最初に目にする場所に、堂々とある。TargetやHome Depotなどの大型店では、返品カウンターは例外に対応するための窓口ではなく、買い物の流れの一部として最初から設計されている場所でした。
同じ空気を、別の場所でも見かけました。Whole Foodsに買い物に行ったとき、入口の近くにAmazonの返品用カウンターがありました。食料品を買いに来たついでに、Amazonで買った別の商品を返しに来ている人たちが、何人か並んでいます。買い物袋を片手に、もう片方の手で返品する箱を持っている。返品がわざわざ出かけてやる用事ではなく、買い物のついでに済ませることになっている。
航空券にさえ同じ発想があるようです。米国運輸省の規則で、航空会社から直接購入した場合、購入から24時間以内・出発7日以上前であれば手数料なしでキャンセルできるそうです。使ったことはありませんが、あるだけで少し安心します。
「間違えたら戻せる」が、店にも、スーパーの片隅にも、航空券にも埋め込まれている。返品は「起きてしまうこと」ではなく、「起きることを見越して用意されていること」なのだと感じました。
後ろめたさの正体
ネジを返しに行く前に感じていた後ろめたさの正体が、少しずつ見えてきました。
振り返ってみると、日本にいた頃は、買ったものを返品したことがほとんどありませんでした。返品したのは、届いた商品が壊れていたときくらいです。サイズを間違えた、思っていたのと違った——そういうときは、「自分がちゃんと確認しなかったから」と思って、そのまま使うか、しまい込むか、誰かに譲るかしていました。返品するという選択肢が、頭の中にほぼなかったのだと思います。
日本では「買う」という行為に、ある種の重みがあった気がします。買う前に慎重に選ぶ。サイズを確認し、比較し、納得して決める。そしてお金を払った瞬間、その選択は完結する。完結した取引をもう一度開くのは、自分がちゃんと選ばなかったことを認めることであり、しかもその「やり直し」の手間を相手に負わせることになる。
後ろめたさの正体は、「自分のミスを人に預けてしまう」という感覚だったのだと思います。
アメリカでは、お金を払った瞬間はまだ完結ではないようです。買い物は確定ではなく、仮決定。試してみて、合わなければ戻す。戻すことは制度として想定されていて、店員の仕事の一部に最初から組み込まれている。だから返品は「やり直しをお願いする」行為ではなく、「用意された手順を使う」行為にすぎません。
同じ返品カウンターに立っていたのに、自分は「すみません」と思っていて、前に並んでいた人たちは何も思っていなかった。あの温度差は、「買い物がいつ完結するか」の基準が違うから生まれていたのだと思います。
確定と仮決定のあいだで
この「仮決定の文化」に慣れてくると、買い物が少し軽くなります。迷っているときに「合わなければ返せばいい」と思えることで、試しに手に取ってみる気持ちが出てくる。慎重に吟味して一発で正解を引く必要がない。その気楽さは確かにあります。
でも、軽くなることへの小さな不安もあります。
Amazonで買った商品の箱に、開いた跡があったことがありました。テープが一度剥がされて、もう一度貼り直されている。中身に問題はなかったけれど、誰かが一度開けて、戻して、それがそのまま自分のところに届いたのだと分かりました。仕組みとしてはそういうこともあるのだろうと理解はできます。でもあのとき感じたのは怒りよりも、「みんなが気軽に返す社会では、こういうことも起きるのか」という、ぼんやりした落ち着かなさでした。
どちらが正しいという話ではありません。慎重に選んで完結させる文化にも、気軽に試して戻せる文化にも、それぞれの摩擦があります。ただ、「買う」という行為にどのくらいの重みを載せるかが、ずいぶん違うのだと思います。
それでも入念に確認する
最近はもう、返品できることは頭では分かっています。制度があること、店員が慣れていること、誰も気にしていないこと。
でも先日、Home Depotでまたネジを買ったとき、棚の前でサイズを入念に確認してからレジに持っていきました。
返せると分かっているのに、返さなくて済むように買う。そのことに気づいて、少しおかしくなりました。
たぶん、これが自分の中に残っている「買い物は完結させるもの」という感覚なのだと思います。安全ネットがあっても、できれば使いたくない。使わないで済んだことの方が、自分にとっては「ちゃんとできた」という感覚に近い。
返品カウンターはいつでも使える。でも、棚の前で確認している時間の方が、自分にとっては安心する。あの後ろめたさは少しずつ薄れてきたけれど、「ちゃんと選びたい」という気持ちの方は、たぶん薄れないし、薄れなくていいのだと思います。
この返品文化の背景が気になって、少し調べてみました。
気になって調べてみました
アメリカの返品文化には、法的な裏付けがあります。連邦取引委員会(FTC)の「クーリングオフ・ルール」は、訪問販売などで消費者に3日以内のキャンセル権を保障する制度です。また米国運輸省(DOT)の規則では、航空会社から直接購入した航空券について、購入から24時間以内・出発7日以上前であれば無料でキャンセルできることが義務づけられています。返品の権利が個々の店舗のサービスではなく、法制度として整備されている点が特徴的です。
この「合わなければ返金する」という商慣行には、歴史的な背景もあります。19世紀後半、シカゴの百貨店マーシャル・フィールズは “Give the lady what she wants” というポリシーを掲げ、顧客の満足を最優先にする経営で知られていました。この時代に広まった「satisfaction guaranteed(満足保証)」の考え方は、返品の受け入れを「損失」ではなく「信頼の獲得」として捉える発想です。これがアメリカの小売業における競争原理となり、やがて業界標準になっていきました。日本の商慣行が「良いものを選んで売る」ことで信用を築くのに対し、アメリカでは「合わなければ引き取る」ことで信用を築いてきた。信頼の作り方が違うのです。
本文で触れた「買い物がいつ完結するか」という感覚の違いは、行動経済学の「保有効果(endowment effect)」という概念からも捉えることができます。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらの研究によれば、人は一度手にしたものに対して、実際の市場価値以上の価値を感じる傾向があります。この効果は、所有の感覚が強いほど働きやすいとされています。本文で「サイズを間違えたけれど、そのまま使うか、しまい込んでいた」と書いた日本での自分の行動は、買った瞬間に所有意識が形成され、手放すことへの心理的な抵抗が生まれていた例なのかもしれません。一方、返品が前提に組み込まれた文化では、「これはまだ仮のもの」という意識が残りやすく、保有効果が薄まる可能性があります。Home Depotの返品カウンターに並んでいた人たちが気まずそうにしていなかったのは、そもそもあのネジをまだ「自分のもの」だとは思っていなかったからなのかもしれません。
