通路がまるごとサプリメント

買い物に行ったときのことです。日用品を探してお店の中を歩いていたら、通路ひとつがまるごとサプリメント売り場になっていました。

ビタミンD、ビタミンC、ビタミンB群。鉄分、カルシウム、マグネシウム。フィッシュオイル、プロバイオティクス、コラーゲン。ターメリック、エルダーベリー、メラトニン。棚の上から下まで、びっしりとボトルが並んでいます。日本のドラッグストアにもサプリメントはありますが、あくまで棚の一角です。通路まるごとという規模は見たことがありませんでした。

種類の多さにも驚きましたが、もっと驚いたのは、周りの人が当たり前のように選んでいることでした。カゴにさっとボトルを入れていく。迷っている人もいましたが、それは「飲むかどうか」ではなく「どれにするか」で迷っている様子でした。

食卓で整えるか、棚で足すか

日本にいた頃、サプリメントにはどこか「最後の手段」というイメージがありました。まずは食事でバランスを取る。野菜も肉も魚もまんべんなく食べる。それでも足りないものがあったら、仕方なくサプリメントで補う。そんな順番です。

実際、日本にいた頃は野菜も含めてバランスよく食べるようにしていましたし、サプリメントをわざわざ買うことはほとんどありませんでした。「食事をちゃんとしていれば大丈夫」という感覚があったのだと思います。

アメリカでは、この感覚が違います。サプリメントは「最後の手段」ではなく、日常のメンテナンスの一部。歯を磨くように、朝食の後にビタミンを飲む。食事とは別のルートで、体に必要なものを届ける。

日本の健康管理は「食卓」で行われていた気がします。毎日の食事のバランスに気を配り、食材の組み合わせで体を整える。アメリカの健康管理は、「食卓」と「棚」の二本立てです。食事は食事でとるけれど、足りないものは棚から足す。食卓だけに頼らない、という発想です。

「足す」という合理性

最初は大げさだなと思いました。食事をきちんとしていれば、こんなにたくさんのサプリメントはいらないのではないか、と。

でも暮らしているうちに、少し考えが変わりました。

アメリカの食事は、日本とはバランスの取り方が違います。日本の食卓のように、何品目もおかずが並ぶスタイルではありません。一皿でどんと出てくることが多いし、外食のポーションも大きい。食材の幅も、日本ほど細かくはない印象です。その中で、食事だけで全ての栄養をカバーするのは確かに難しいのかもしれません。

そう考えると、足りないものをサプリメントで補うのは合理的な判断です。「食事で全部まかなうべき」という理想を追うよりも、「食事で取れないものは別の方法で取る」と割り切る。完璧な食事を目指すのではなく、現実の食事を認めた上で、足りない分をモジュールのように足していく。

これは食事に限った話ではないのかもしれません。アメリカの暮らしの中には、こうした「足りないところにピンポイントで対処する」という考え方が、いろんな場面に見られる気がします。問題を全体で捉えるよりも、分解して個別に対処する。サプリメントの棚は、その考え方のひとつの表れなのだと思います。

まるごと整えるか、パーツで補うか

日本の「食事で整える」という考え方は、とても好きです。食材の組み合わせ、季節の食べ物、一汁三菜。食卓そのものが健康を支えている。その美しさは、アメリカに来て離れてみたからこそ、より強く感じます。

でも同時に、アメリカの「足りないものは足せばいい」という割り切りにも、少し救われる気持ちがあります。完璧な食事を毎日作れなくても、サプリメントで補えると思えば、少し肩の力が抜けます。

健康への向き合い方にも、文化が出るのだと思います。まるごと整えようとするか、パーツで補おうとするか。どちらが正しいということではなく、どちらにも、その社会の「何を大事にしているか」が映し出されています。

この健康観の違いが気になって、少し調べてみました。

気になって調べてみました

アメリカのサプリメント市場の拡大には、1994年に制定された「栄養補助食品健康教育法(DSHEA)」が大きく関わっています。この法律により、サプリメントは医薬品ではなく食品として扱われることになり、FDA(食品医薬品局)の事前承認なしに販売できるようになりました。これが品数の爆発的な増加につながったとされています。制度が市場を作り、市場が消費行動を作るという点で、ボランティアの記事で触れた「仕組みがふつうを作る」という構造とも通じるものがあります。

日本の「食事で健康を整える」という発想は、「医食同源」という東アジアの伝統的な考え方に根ざしています。食べ物と薬は源が同じであり、日常の食事こそが健康の基盤であるという思想です。この考え方は中国医学に由来し、日本の食文化にも深く浸透しています。一汁三菜のバランスや旬の食材を取り入れる習慣は、この思想の実践とも言えます。

一方、アメリカの健康観には、体を「個別のパーツの集合体」として捉える還元主義的な見方が反映されていると指摘されることがあります。ビタミンDが足りなければビタミンDを足す、腸内環境が気になればプロバイオティクスを飲む。全体のバランスよりも、個々の要素にフォーカスして対処する。この考え方は、サプリメント文化だけでなく、医療全般にも通じる傾向です。文化人類学者のアーサー・クラインマンは『病いの語り』(1988)の中で、病気や健康に対する文化ごとの「説明モデル」が、治療や予防の行動に大きく影響することを論じています。サプリメントの棚の大きさも、この説明モデルの違いのひとつの表れなのかもしれません。