平日にボランティア?

知人が、子どもの学校で平日にボランティアをしていると聞いたとき、最初に思ったのは「仕事は?」でした。

聞けば、会社にVTO(Volunteer Time Off)という制度があって、ボランティアのために有給とは別に休みが取れるのだそうです。しかもそれは特別な制度ではなく、多くの会社で導入されていると知りました。

驚いたのは制度の存在だけではありません。知人がその話をするトーンでした。自慢するでもなく、特別なことをしているという意識もなく、ただの日常報告として話していたのです。週末の予定を聞かれて「フードバンクのボランティアに行く」と答えるのと、「買い物に行く」と答えるのが、同じくらいの温度感でした。

「意識が高い」ではなく「ふつう」

日本にいた頃の自分にとって、ボランティアは「特別なこと」でした。するのは意識の高い人。災害のときに駆けつける人。休日を返上して何かに取り組む人。立派なことだけれど、自分とは少し距離がある。そんな感覚がありました。

それだけでなく、日本ではボランティアをしていることを口にすると「偽善じゃない?」と思われることもある気がします。いいことをしているのに、それを見せると疑いの目を向けられる。だから余計に「ふつう」にはなりにくいのかもしれません。

アメリカでは、その距離感がまるで違います。ボランティアは「意識が高い人がやる特別なこと」ではなく、「多くの人がふつうにやっていること」でした。

LinkedInにもボランティア経験を書く欄があります。職歴やスキルと並んで、ボランティアが「その人を構成するもの」として位置づけられている。日本の履歴書にボランティア欄があったら、少し違和感があるかもしれません。でもこちらでは、それが自然なのです。

仕組みが「ふつう」を作る

なぜアメリカではボランティアが「ふつう」なのか。暮らしているうちに感じたのは、個人の意識の差だけでは説明できないということでした。

会社にはVTOがある。学校は保護者のボランティア参加を前提にイベントを組んでいる。地域にはフードバンクやシェルターがあり、参加の窓口が常に開いている。LinkedInには欄がある。つまり、ボランティアを受け入れて支える仕組みが、社会のあちこちに埋め込まれているのです。

日本でボランティアが「特別」に見えるのは、日本人の意識が低いからではないと思います。仕組みが少ないのです。仕事を休んでボランティアに行ける制度がなければ、平日に参加するのは難しい。参加の窓口が見えにくければ、何をすればいいのか分からない。「やりたい」と思っても、そこにたどり着くまでのハードルが高い。

アメリカでは、そのハードルが仕組みによって下がっている。だからこそ、特別な意志がなくても「ふつうのこと」として参加できる。個人の善意ではなく、社会のインフラがボランティアを支えているのだと思います。

寄付という「もうひとつのふつう」

ボランティアと似た感覚を、寄付の場面でも感じることがあります。

着られなくなった子ども服やおもちゃを集めている場所を見かけることがあります。教会や学校の前に箱が置いてあって、誰でも入れていける。特別なイベントとしてではなく、日常の導線の中にさりげなく組み込まれています。

この「さりげなさ」が大事なのだと思います。ボランティアも寄付も、構えなくていい。生活の延長線上に、参加する入り口がある。だから「ふつうのこと」になる。

日本では、ボランティアも寄付も、「よし、やるぞ」と意識的に踏み出す行為です。それ自体は悪いことではありません。でも、踏み出す必要があるということは、日常と地続きではないということでもあります。

アメリカでも、もちろん全員がボランティアをしているわけではありません。でも、「やろうと思えばすぐできる」状態が整っていることが、「ふつう」の空気を作っているのだと思います。仕組みが行動を変え、行動が空気を変え、空気がまた次の人の行動を変えていく。知人があんなにさりげなくボランティアの話をしていたのは、その循環の中にいるからなのかもしれません。

最近、動物園や博物館など身近な施設でもボランティアを募集していることを知って、少し興味が出てきました。一人で踏み出すのはまだ少しハードルがありますが、同じように興味のある人が集まるコミュニティを探してみるのもいいかもしれないと思っています。仕組みが「ふつう」を作るのだとしたら、まず自分をその仕組みの中に置いてみることが、最初の一歩なのかもしれません。

この「ふつう」を支える仕組みが気になって、少し調べてみました。

気になって調べてみました

アメリカにおけるボランティア活動の広がりは、政治学者ロバート・パットナムが2000年の著書『孤独なボウリング(Bowling Alone)』で論じた「社会関係資本(social capital)」の議論と深く関わっています。パットナムは、地域のつながりや市民参加が社会の信頼と協力の基盤になっていると論じました。ボランティアは単なる善意の行為ではなく、社会関係資本を維持・蓄積する仕組みのひとつとして位置づけられています。

アメリカでボランティアが「ふつう」になっている背景には、歴史的な要因もあります。19世紀のフランス人思想家アレクシ・ド・トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』(1835)の中で、アメリカ人が自発的な結社(voluntary associations)を作り、市民同士で問題を解決する傾向が強いことに注目しました。政府に頼る前に、まず自分たちで何かする。この「自発的結社」の伝統が、今日のボランティア文化やVTOのような企業制度にもつながっていると考えられます。

本文で触れた「仕組みが行動を変え、行動が空気を変える」という観察は、社会心理学でいう「記述的規範(descriptive norms)」の作用と捉えることもできます。「周りの人がやっていること」は、それ自体が「こうすべきだ」という暗黙のメッセージになります。ボランティアが目に見える形で日常に組み込まれていることで、「自分もやるのが普通だ」という規範が強化される。仕組みが個人の行動を促し、その行動がさらに規範を強化するという循環が生まれているのです。